12月23日、宝生能楽堂で開催された第一回『万蔵の会』を鑑賞して参りました。この会は九世野村万蔵さまがご自身の誕生日に「自身で楽しみながら、自身を見直し」(プログラムより抜粋)今年をスタートに毎年の同じ日に回を重ねていきたいとのこと。
ラ コゼット パフュメの第16回『香りのおしゃべり会』のゲスト講師としてお越し頂き、素晴らしいお話をお聞かせ頂いたのがつい先日の事のようです。扇子を持った両手をすっと上げられた瞬間に日仏会館の空気が変わり、皆の目線が釘付けになったのです。
第一回『万蔵の会』は、ご挨拶に続き
【舞囃子】高砂 【狂言】痺
【狂言】金岡
【新作狂言】彦一ばなし と続きました。 嫌なお使いごとをサボろうとか、知恵を巡らして天狗の宝物を手に入れようとか、人間くさい物語が多いので、何も知らなくても見て聞いていれば楽しめるのが狂言。観客にとって最もエフォートレスに鑑賞出来る日本の伝統芸能かと思います。そして、笛、小鼓、大鼓、太鼓、そして地謡は、聴覚と体全体にぐんと迫ってきます。

舞台の上の皆さまは人間であって人間でないみたいです。ギリシャ神話の神々の様に人間らしいけれど、実は神様と入れ替わっているのかもしれない、と思う瞬間がしばしばあります。
つい先日、通りかかった根津美術館の前の交差点が、強い風に乗ってやって来た真っ白な煙に包まれていました。次々に走行していく消防車。空にはヘリコプター。あぁ、火事だな、怪我人が出ないと良いな、と思っていたのですが高齢の方がお亡くなりになったそうです。あの煙にはその方の悲しみが含まれていたかとずっと重い気持ちでいたのですが、空気を切り裂くような小鼓の音の一閃で、すっと振り払われました。文化人類学で言うところの「穢れが祓われた」様な感覚です。
鼓の音、太鼓の音、笛の音に神聖さを感じるのは日本人だからでしょうか。年の終わりに狂言を観るのはとても良いのかもしれません。
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