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  • 執筆者の写真地引 由美 Yumi JIBIKI

グラースの国際香水博物館に日本の香水が収蔵されました

更新日:2019年12月13日

 シャネル、エルメス、ルイ ヴィトン 、ディオール、カルティエ…多くのラグジュアリーブランドが過去の製品、作品をアーカイブに保存し、イベントや展示会で公開しています。過去の遺産はブランドの信頼につながり、所有者していた人が有名人であればそのことにもプレミアが付き、何よりももう現在では手に入らないという点で最も貴重な品ともなります。  しかしながら、専門化した業界にはありがちなことですが、自社の製品、それに関連する業界の品々などを保管して後世に残そう、という意識はその当事者達には希薄な場合が多いのですよね。貴重な資料が簡単に処分されてしまっていたりします。

 国際香水博物館もその誕生において重要な役割を果たしたのは地域のグラースの人々だけではなく、ブルゴーニュ地方にルーツを持つある男性が関わっていました。フランス共和国第5代大統領、マリー=フランソワ=サディ・カルノ(Marie-François Sadi CARNOT)の息子として 1872年2月22日に生まれたフランソワ・カルノ(François CARNOT)です。カルノ一族は政治家を多く輩出した家系で、フランソワ自身も工学・技術系エリートの為の高等教育機関であるエコール サントラル パリを卒業後、 コート=ドール県、セーヌ=エ=オワーズ県にて選出され、1902年から1914年まで国民議会議員を勤めます。フランソワ・カルノは、1897年にグラースの大手香料会社シリス社の娘、ヴァランティンヌ・シリスと結婚し、彼の兄弟エルネストもヴァランティンヌの姉妹のマルグリットと結婚し、カルノ家とシリス家、そしてグラースとの結びつきが強くなります。  政治家であると同時に芸術にも造詣の深かった彼は1900年のパリ世界博覧会の委員でもあり、1910年から1960年に亡くなるまでの50年間、装飾芸術博物館を管理する中央装飾連合の会長を務め、国立博物館評議会のメンバーでもありました(さらに後には、国立ゴブラン織り製作所の所長にも任命されています)。  1918年、フランソワ・カルノはグラースに香水産業に関する資料を集めた私設博物館を設立します。1921年頃から、グラースの香料会社やパリのピヴェール社など、寛大な寄贈者達によってそのコレクションは充実していきます。 プライベートコレクターも例外ではなく協力しました。1931年、サヴィニー・ドゥ・モンコール 伯爵夫人は、19世紀初頭の香水と化粧品ラベルの非常に重要なコレクションを彼の博物館に寄付しました(それらは複製されて国際香水博物館の展示室の壁面にコラージュされ、現在でも見ることが出来ます)。香水産業と装飾芸術の世界をさらに結びつけるべく活躍し、フランソワ・コティをルネ・ラリックに紹介したのもフランソワ・カルノ、彼自身でした。

 1989年1月、フランスの近代香水が誕生した記念の年から100年目にフランソワ・カルノの努力は国際香水博物館として結実し、香水産業の生き生きとした記憶を表しているだけでなく、グラース特有の非常に強いアイデンティティーを全世界に向けて発表しています。2006年のリニューアルで展示面積は 3,500平方メートルとなり、収蔵品は50,000点以上。 フランス文化省が認定する、ミュゼ ドゥ フランス(Musée de France)として保証された1,218館の美術館・博物館のうちの一つです。

 2000年に初めて訪れて以来通い詰め、ヨーロッパの香水の歴史と現在、伝統と文化について学ばせて頂くことばかりだった国際香水博物館。これまでのご縁がうまく繋がり、この度、PARFUM SATORI(パルファン サトリ)の香水が収蔵されることが決定しました。30年近く香水業界で活動する間、日本文化の粋(すい)を表現するような香水を国際香水博物館に紹介したいという気持ちは常にあり、過去にも検討したことがありましたが実現とはならず。今回は全てが順調に運び、最高の時期にお納めに行くことが決まりました。  

 日本の香り関連の品としては、香道のお道具や、化粧品や化粧の道具、そして資生堂やPOLAなどの香水が既に収蔵されています。しかし、ご自身が日本の伝統文化をたしなむ家庭に生まれ、華道師範であり、茶道の茶名も取得され、香道を学ばれているなど、和の歴史と文化への敬意を現代の香りの創造の源とされている大沢 さとり様の、とりわけ美しい茶壺型香水(しかも藤、梅、桜の三点とも!)が収蔵品として認定されたことには一際大きな喜びを感じます。



 PARFUM SATORI と大沢 さとり様のことはブランドを立ち上げられた頃から存じておりましたが、明治大学リバティアカデミーで香水の講座を担当させて頂いた時に私の大好きな香水 ひょうげ Hyouge を紹介させて頂いたことでご縁が深まり、その後、主宰する La causette parfumée ラ コゼット パフュメ – 香りのおしゃべり会 の調香体験の講師としてもご登壇頂いています。



 コーディネイトター& アテンド(そして撮影担当)として、大沢 さとり 様とご一緒に国際香水博物館の会議室へ。


 国際香水博物館 科学責任者/遺産保護担当官はグレゴリー・クーデルク氏(向かって右)と、管理担当のジュヌヴィエーヴ・デロジス氏(向かって左)。中央が大沢 さとり様。収蔵された香水はPARFUM SATORI(パルファン サトリ)を代表する 茶壷型香水さとり です。クーデルク氏とデロジス氏がオリジナルの有田焼の香水瓶、繊細な紐飾り、桐箱、真田紐、包み布など丁寧に見てくださいます。そして  「今日をもちまして間違いなく収蔵させて頂きます。そして、今後如何なることがあっても国際香水博物館はこの香水の放出、売却等を行うものではありません。つまり『茶壷型香水さとり』は、国際香水博物館のコレクションとして永久に保存されます。」というお言葉を聞いて、あらためて大きな喜びを感じました。



 作家であり、グラースの香水文化の発展に大きく寄与されている友人のディアンヌ・ソラ様もこの場に駆けつけてくださいました。彼女をはじめとしてグラースの友人たちの協力無くしては、この日はなかったかもしれません。


 その後、丁寧に館内を案内してくださいました。昨年の11月、グラースがユネスコ 無形文化遺産に登録されたことを記念して、展示もかなり変わっています。



 館内にあるコレクション収蔵庫も案内してくださいました。PARFUM SATORI の香水もまずこちらに保管されます。


 光やホコリを避けて保管しなければならない古いアイテムは、上の動画で説明されている庫内に保管されています。取り出して見せてくださった金属の箱に入っているこれは、とても珍しいもの。

 1937年にチベットで採集されたムスクです。現在でもしっかり香りを放っています。

 大きなポスターや証書、昔の香水工場の設計図なども収蔵されていました。


 大正11年(1922年)、上野公園で開催された平和記念東京博覧会にローティエ&フィス社が出品したことに対する日本からの感謝状も目にすることが出来ました。



 企画展のスペースは1.5フロア使用するほど大きくなっていました。今期はジャン=クロード・エレナ氏がディレクションを担当された オーデコロン展 です。いろいろなブランドの歴史的なオーデコロンの香りを実際に試香できる体験型の展示構成です。

 今回のPARFUM SATORI 茶壺型香水さとりの収蔵についてのニュースは日本のメディアでも多く取り上げられました。下記のリンクからご覧くださいね。 香水の都、南仏グラースの国際香水博物館に パルファン サトリの代表作「サトリ -Satori-」が収蔵 @Press



 この名誉なイベントに同行する幸せを噛み締めつつ黒衣で過ごすつもりでしたが…こっそり撮ってくださっていた方がいました。

■ 関連ブログ ■ 11月9日のこと グラースへ https://www.styleetparfum.com/blog/grasse2019 11月10日のこと 秋のカンヌ  https://www.styleetparfum.com/blog/cannes2019 11月11日のこと 雨のグラース https://www.styleetparfum.com/blog/grassepluvieux 11月12日のこと カンヌからアンティーブへ https://www.styleetparfum.com/blog/decannesaantibes



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