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  • 執筆者の写真地引 由美 Yumi JIBIKI

新章パリ・オペラ座 特別なシーズンの始まり

更新日:2022年8月18日

昨日は映画『新章パリ・オペラ座 特別なシーズンの始まり』先行上映&トークショーに出かけてきました。この映画のフランス語のタイトルは "Opéra de Paris, Une saison (très) particulière" です。フランスでは新型コロナ感染症を防止するためのロックダウンが2020年の春、3月に始まりました。その間、ダンサー達は家でバーレッスンなどを行っていて、その様子をSNSなど通じて見ていたバレエファンも多いのではないでしょうか。 やがて6月15日にダンサー達がメゾン(=家)と呼ぶパリ・オペラ座ガルニエ宮でのクラスレッスンが再開されます。その日から彼らの姿をカメラが追い始め、2021年5月に劇場が再開して観客入れて公演が行われたシーズン最後の『ロメオとジュリエット』までを追ったドキュメンタリーです。上映時間は73分。配給会社はGAGA株式会社。公式サイトはこちらです。



感動しました。 コロナ禍で何かを諦めた人。 コロナ禍を耐え抜いた人。 コロナの影響下でも諦めずにやり続けた人。 コロナ禍で新しい挑戦を始めた人。 つまりすべての人に観てほしい映画です。 バレエが好きな方はもちろん、バレエに興味がなくても俳優の演技を凌駕するダンサーの体、台詞ではない、溢れ出る気持ちとイコールの言葉は心に沁みます。


ネット上にはすでに内容に関する情報も出ていますし、パリ オペラ座のダンサー個人のインスタグラムで色々とご覧の方も多いとは思いますので…ここから先は映画の内容にも触れる私観になります。ご覧になりたくない方はここまでで閉じてくださいね。



特に印象に残ったシーンをいくつか。


冒頭での白い壁に立てかけられた1足のトウシューズ。使い込まれたその様子はこれまでの活気を表しているようで、これから始まるレッスンへの期待の象徴。

ロックダウンが解除されて、レッスンが再開する喜びに溢れる男性団員とアンドレイ・クレム先生。しかし、久しぶりのスタジオでのレッスンですがグランジャンプは避けて、アンシェヌマンはシンプルに。女性クラスも「まるで入団試験みたいね」というつぶやきが聞こえるほど基礎的な内容。家で自主的にレッスンは行っていたにしても以前は毎日行っていたことがまるでゼロに戻ったようで、まずは衰えてしまった身体の感覚を取り戻すことに。


ジェルマン・ルーヴェは「失われた身体の記憶が徐々に蘇るんだ、プルーストのマドレーヌの様に」と言います。長編小説『失われた時を求めて』の冒頭で紅茶に浸したマドレーヌの香りによる嗅覚の刺激から、過去の記憶を次々に思い出すという香りと記憶の比喩で使われるマドレーヌ。ダンサーにとって子供の頃から長い時間かけて培ってきたバレエの為の体、そしてダンサーにとって一番大切な踊る感覚を呼び戻すプルーストのマドレーヌは、スタジオでの教師と仲間とのレッスン。


この映画は感覚の喪失と復活の物語でもあります。

コロナに感染すると、病状のうちの一つに味覚や嗅覚の喪失があります。ダンサー達は五感と同じ、いえそれ以上にも大切な踊るための感覚を苦しみながら取り戻していくのです。


さて、ヌレエフ版のラ バヤデールを上演することになり稽古が始まりますが、これは特に難しい演目。「誰もパリ オペラ座のラ バヤデールを真似して踊ろうとは思わないよね。モーツアルトはサリエリに『音が多すぎる』と文句を言われたけれど、ヌレエフはパ(=ステップ)が多すぎるんだ」と指導するクレム先生が苦笑するほど。


振り付けが難しいので体の向きやポーズを直されるのはもちろんですが「視線が足りない、視線をちょうだい」と指導されるのも、印象的です。 エトワール達がこれまで出来たことがことが出来なくなっている事に悩む中、ゴールデン アイドル(=黄金像)のバリエーションを踊る若手のポール・マルクは、レッスンスタジオでの通し稽古で見事な完成度を見せ、他の団員たちから喝采されます。教師からも"Bis !(=アンコール!)" と言われるほど(え〜、無茶言わないでください、という仕草が微笑ましい)。


私事ですが先月、ポール・マルクをオペラ座付属バレエ学校で指導してきたジル・イゾアール先生の大人向けの特別レッスンを受講しました。オペラ座の団員を目指す生徒達には厳しく、諦めずに、そして踊りには感情を込めることを指導するとおっしゃっていました。先生の動きはエレガンスに満ちていて、その影響でしょうか、ポール・マルクのゴールデンアイドルは観音菩薩の様にしなやかです。アクロバティックな動きもある振り付けなので、強さを出してマッチョな感じで強く踊るダンサーもいるのですが、その様な方は不動明王の様に思えます。 映画の内容に戻ります。バスティーユのオペラ座劇場での稽古が始まり、衣装をつけての通し稽古、さらにオーケストラと合わせてのゲネプロが行われます。スタジオでパーフェクトに出来たと感じても、劇場の舞台ではストレスを感じることばかり。ユーゴ・マルシャンは思わずあまり上品ではない"p" で始まる単語をひとりごちます。王子様の様に美しいダンサーの素顔を見られるのもこの映画の魅力の一つです。でもその後に " Les sensations que j'avais sur scène, je les ai jamais retrouvées nulle part ailleurs, et j'envie de remonter sur scène et renouer avec le public. " 「舞台上で感じる感覚は他のどこにもないんだ。僕は舞台に上がり、観客と再び結びつきたいんだ」 舞台は自分一人ではもちろん、踊り手だけでなく、各分野のスタッフ、そして何よりも観客あってのものだと強調します。コロナ禍で奪われたもの、そして今、再び実現しようとしている舞台に臨む強い気持ち。


バレエミストレスのクロチルド・ヴァイエが影の王国の群舞を踊るダンサー達を指導するシーン。この踊りはこの世のものでないだけにとても難しい振り付けで、永遠を表現する下り坂でのアラベスク パンシェの繰り返しの後にすぐ、舞台に並んで一糸乱れずに脚を高くあげるというものですが、リハーサルではバランスを崩すダンサーが大勢。「完璧でなくて良い。ベストを尽くして。頑張りましょう、Merci !」。 そう、今できるベストを尽くすこと、と気持ちが一つになり素晴らしい舞台にしよう、となった後に再び劇場の閉鎖が発表され、結局『ラ バヤデール』の上演は1日限り、無観客でのライブ配信を行うことになります。誰も座っていない客席に向かい踊り、レヴェランス(=バレエのお辞儀)をしても拍手は帰ってこないし、舞台袖でダンサー同士が仲間を讃える為の拍手も無し。前代未聞の公演です。

それでも最後に、アレクサンドル・ネーフ総裁と芸術監督のオーレリー・デュポンが舞台の上手から現れます。そう、パリ オペラ座のダンサーの最高位、エトワールの任命が行われるのです。「ポール・マルク、ダンスール エトワール!」という言葉に涙が溢れます。コロナの影響下でも諦めずにやり続けたことが、正しく評価され、素晴らしい実を結んだシーンです。


その後に再び制限解除となり、これもまた難しい演目のヌレエフ版『ロミオとジュリエット』が上演され、ポール・マルクとペアを組んでジュリエットを踊ったセウン・パクがエトワールに任命されます。今回は客席いっぱいの観客からの喝采が鳴り止みません。 そして映画は拍手の中、終わりました。先行上映会だったので、公式プログラムの発売はまだでこの日は残念なことに入手できませんでした。鑑賞した記憶で書いているので、間違った表記があったらごめんなさい。あらかじめお詫びさせてくださいね。


映画の上演後は東京バレエ団のプリンシパルダンサーの上野水香さんをゲストに迎えてのトークショーでした。1993年のローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞されてモナコ公国のプリンセス グレース クラシック ダンス アカデミーに留学し首席で卒業され、数々の舞台で主役を務めてから、東京バレエ団に入団した後は故モーリス・ベジャールに直接指導を受けて『ボレロ』を踊ることを許された世界でも数少ない方です。昨年は文化庁芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されています。 2012年に『ザ・カブキ』でパリ・オペラ座の舞台に立たれた時に感じたオペラ座がいかに特別であるか、モナコのプリンセス グレース アカデミーでマリカ・ベゾブラゾヴァ先生とヌレエフが構築したエクササイズを行なうヌレエフクラスのこと、ヌレエフの振り付けの特徴、森下洋子さんのこと、パリ オペラ座で衣裳を作ってもらった時のことなど、数々の貴重なお話をお聞きしました。 10月の東京バレエ団の公演は奇しくも『ラ バヤデール』とのことで、1974年にアメリカンバレエシアターで初演され、英国ロイヤル・バレエ団等で踊られている音楽性豊かなナタリア・マカロワ版の振り付けだそうです。 そして主役のニキヤを踊るのにお召しになる衣装はシルヴィ・ギエム、スヴェトラーナ・ザハロワが着用したものとのこと。同じ衣裳がフィットするなんて、やはり上野さんは日本人離れしたプロポーションの持ち主です。


トークショーの最後には、司会を務められたフィガロ ジャポンの森田聖美さんから「この映画のように文化芸術の分野はコロナ禍で大きなダメージを受けました。映画館も例外ではありません。ぜひ19日からは全国の劇場にて多くの方にご覧いただきたいです」とのメッセージがありました。私ももう一度観たいし、公式プログラムも購入したいので、必ずBunkamura ル・シネマに行くと思います。

お土産に madame FIGARO JAPON の最新号を頂きました。ロビーではこの映画に関連したバックナンバーが販売されていたので『オペラ座エトワール ユーゴ・マルシャンの愛するパリ』が掲載されている号を購入しました。知らない場所がたくさん。次のパリ行きではオペラ座でバレエを鑑賞し、ユーゴの愛するスポットを巡ることが楽しみです。

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